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クリスタルに描かれた記憶

2008. . 25
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NYで「老年学」を学んだことによって、様々な高齢者との出会いがあった。
わたしの何倍もの年月を生き抜いてきた彼らには、それぞれの人生の物語があった。

その物語一つ一つが本当に奥深いものだったのだけれど、特に彼女のことは忘れることができない。

日系アメリカ人として、二つの国のはざまで翻弄されながらもこれまで生き抜いてきた彼女は、外見も中身も美しい女性だった。

わたしはそんな彼女が本当に好きだった。

彼女はアメリカで生まれ育ち、10代で日本に移り住んだ。彼女は言う。
「わたしと姉がね、英語でしゃべってると、まわりの日本人がわたしたちをおかしな目でみるのよ。母からは、英語をしゃべったらダメよ!とよく叱られたものだったわ。」

そんな彼女はほどなくして、「東京大空襲」を体験する。とても凄まじい光景だったという。
「わたし、腐った鳥の肉のにおいを嗅ぐと吐いちゃうの。そのにおいが、あの時の人の焼けたにおいににているから・・・。。。」

その後、焼け野原となった東京で、彼女は「英語の堪能な日本人」としての新たな生活をスタートさせることになるのだけれど、「アメリカ人」にも「日本人」にもそまりきれない彼女は、語りつくせない辛酸をなめたことだろう。

「結局、アメリカに戻ってきちゃったの。」と笑いながら言った。

気さくで優しくて美しい彼女にはパートナーがいなかった。それがとても不思議だったわたしは、そのことについて尋ねたことがあった。

そこにはまた、辛く悲しい過去が隠されていた。

「いい人はいたのよ。でもね、死んじゃったの、その人。わたしと一緒にいる時に心臓発作をおこして倒れたの。わたしの目の前で・・・そしてそのまま亡くなったわ。彼の家族や親戚は一緒にいたわたしを責めたの。わたしがもっとなんとかしていれば、彼は死ななくてすんだって。
それ以来、もうパートナーはもたないって決めたの。」

遠くを見つめ、辛い過去を語ってくれた彼女の瞳は、どこか孤独をおびていて、とてもせつなかった。

「時々ね、17階からNYの景色を眺めていると、このまま飛び降りてしまいたいって思う時があるのよ。でもそんな気分の時は、なるべく部屋の外に出ていろんな人と話すようにしているの。そうすると気が紛れるから・・・」

いつも精一杯明るくふるまおうとしている彼女の中には、取り除くことができない闇が潜んでいる。

「生きる」ってなんて悲しいことなんだろう・・・

それでも、そんな「生」を全うしてきた彼女だからこそ、えられた「輝き」がきっとあるはず。

だって、彼女と過ごした時間の中で、わたしは彼女の溢れんばかりの優しさや温かさをいっぱい感じることができたのだから・・・

彼女と別れる時、「NYをいつでも思い出せるように・・・」と彼女がわたしにくれた、マンハッタンを中心に描いたクリスタル―今でも、わたしの部屋に大切に飾られている。


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フロリダ~ある女性との出会い~

2008. . 24
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2005年夏。旅先のフロリダのユースホステルで、あるアメリカ人女性に出会った。
お互い何者かなんてわからない。名前だってきかなかった。ただ、つかの間の時間を共有しただけ・・・

それでも、何かを感じ合えたのだろうか・・・

彼女が何かのきっかけで口を開いた。
そして、ただ語り始めた。

夫の暴力。息子の暴力。そんな状況から逃げてきた。
でも行くあてなんてない。ただあてもなく旅をして13年。
その日を生きるために、その日の眠る場を得るために、ただ働く毎日。どの地へいっても安らぎなど得られない。

何のために生きてるのか・・・。

誰のために自分が存在してるのか・・・。

わからないまま、時だけが流れている。
それが辛いのだと・・・

わたしの前でその女性は泣いた。

わたしはただ、その女性の話を静かにきくことしかできなかったけれど、その女性の心の叫びを痛いほど感じることができた。

最後に彼女はわたしにこういった。
「自分のことを、他人に話したのはあなたがはじめてだ。」・・・と。

それから再び会うことも、連絡をとりあうこともなかったけれど、彼女の存在は、今でもわたしの心の中にはっきりと刻み込まれている。


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教授とわたし

2008. . 22
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アメリカで大学に入って、言葉の壁に対するもどかしさも、文化に馴染めない苛立ちも、生活の一部として受け入れつつあった頃。ある教授と出会った。彼女は、教授であるかたわら弁護士でもあった。他人に遠慮するとか全くない人。授業では爆弾トークをぶちかまし、アメリカ人生徒ですら、ネをあげる状態だった。
そんな彼女にとって、英語がままならない留学生の私は、「生まれたての赤ん坊」でしかなかった。

1人の大学生として認めてもらえない― 悔しさで涙がこぼれた。

それでも必死だった。彼女が働く法律事務所に、授業のこと質問しに行ったこともあったっけな・・・

そんな彼女が、私を受け入れるようになったのは、彼女が家庭の事情でイギリスに移り住むとわかった時・・・

はじめて彼女から私に歩み寄ってきた。

「日本からアメリカに来たとき、どんな気持ちだった?」
「あなたなら私の今の心境がわかるでしょ?」

生粋のアメリカ女性が、他国への移住に不安を抱え、私に弱さをみせた時・・・
少しだけど、この人に近づけた・・・そんな気がした。

人は、同じ思いをすることで、互いに歩み寄ることができる。

彼女との出会いは、私にそのことを実感させるものだったのだと思う。

今頃、彼女はどうしているのだろうか?
そんなことを思い出とともに、ふと考えてみたりする・・・

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大学のカフェテリア

過去から学び、今を生きる

2008. . 22
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ふとしたきっかけで、NYでの2年間を思い出すことがある。記憶の糸を辿っていくと、それはまさに鮮明に、あの時の感情をも蘇らせてくれる。

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泣きたいほど苦しかったことも、悔しかったことも、どうしようもないぐらい孤独を感じたことも・・・何故か、今ではそのすべてが懐かしく、そして愛おしくさえ感じる。
記憶って本当に不思議なもの。。。

今、自分が「外国人」研修生を支える立場にたってあらためて感じることは、私のこの経験が確実に私の血となり肉となっている・・・ということ。
そして、これからの人生の道しるべとなるであろうこと。

だからいつまでも忘れないでいたい。
そのために、ここに書き綴っていこうと思う。記憶のひとつひとつを手繰り寄せて・・・☆


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